20200924

 

ずいぶんひさしぶりになってしまったこの場所。

明日から個展が始まる。

新聞紙で梱包をしながら、過去5か月ぶんくらいの世の中の流れが、

ざーっと目のまえを通り過ぎて行った。

 

息つく暇もない目まぐるしい日々を作品と共に送り出し、

ようやく書くことができる心持ちになった。

 

凝縮していた。すべてが。

制作も、娘の成長も、日々の暮らしが今までに感じたことのない感情と共に、

暑い夏の日差しと共に台風のように私のなかを駆け巡った。

滝にうたれたあとって、こんなかんじだろうか。

身体と心を素手でつかんで、ざぶざぶと洗いきったような清々しさと共にある。

 

言葉にならぬ思いもそのままゆらゆらと泳がせて、

明日からの時間を少し落ち着いた気持ちで味わいたいと思う。

 

- 09:23 -
20200408

 

野菜パトロール、今日は朝どり筍、いちご、ブーケのようなサニーレタスに、ワサビ菜、小さなラディッシュ袋いっぱい。

筍はスピード勝負なので帰ってきてからすぐゆでた。

筍ごはんや、お吸い物ももちろんだけれど、近年好きな食べ方はパスタ。

バルサミコ、バター、醤油をベースにしたものが最高。

春真っ盛りだなあ。

スーパーにいくと少し緊張するのだけれど、畑に行くといつも心がほぐれる。

ここは変わらない。

 

買い物から帰ってきたら庭になんか干してあった。

夫が仕事のあいまに作っているらしい。なぞのキャラクター…

夫のなかには、どんな時でも変わらず遊びと余裕がある。見習いたい。

 

:::

 

家にいてもやることは尽きない。

いままでなんとなくやり過ごしてきた家の気になる部分に手を入れる。

障子を張り替えたり、靴箱や物置を整理したり。

晴れていれば毎日布団を干したりシーツを洗ったり。

整えるだけで幸せな気分になるのなら、もっと早くやればよかった。

今日は布マスク、マーマレード、バナナケーキもつくる。

 

:::

 

今日はじめて友人に誘われてzoom飲み会をやってみた。

子どもを寝かせた後で、すきなおつまみと飲み物片手に、日々のことも昔のこともぜんぶごちゃ混ぜにして話す。

いい時間だったー。

こんな状況でなくても、普段は離れていてなかなか会えない。

ラインでも、電話でも繋がれるのだけど、自分の感じているいまの空気を共有できることの気持ちよさって確実にあるのだなあと実感した。

顔を見て、みんなの暮らしの一片を垣間見ながら話ができるって、すごく面白い。

実際どこかに行って会うことでしか共有できない空気があるんじゃないかしら、とも思っていたけれど、ここにはここでしか感じられない臨場感と良さがあった!

それぞれの良さ。しなやかにいたい。
なんだか目からウロコの夜でした。

あたらしい、よい、楽しいものはこれからもどんどん取り入れよう。

 

これでよいと、これしかない、と思っていたことを見直したり、新しい価値観をつくってゆくにはきっと今はいい時期なのだと思う。

 

- 01:03 -
20200405

 

新じゃが、まるごと素揚げにする。

ローズマリーやにんにくもいっしょにあげると最高。

春の土の味がいちばんわかるおかずだなあと思う。

 

志村けんのコントを繰り返し見る日々。

やっぱりドリフは今見ても最高に面白い。

かとちゃんけんちゃんごきげんテレビを心の底から楽しみに、

食らいつくように見ていた子供時代だった。

そして、あの太鼓が欲しくてほしくてたまらなかった。

 

志村けんのことばかり考える日々が続いたら、子どもが不安定になった。

とても反省して、理由をきちんと説明したら、

変なおじさんが死んじゃったんだね。と呟いていた。

それを聞いたらまたとても悲しくなってしまった。

 

楽しく過ごそう!とか、いまだからこそより頑張ろう!など

思いすぎると、私の場合それ自体が心の枷になる気がするので

いまのところ、通常運転を軸にしながらも疲れないようにする、緩む、を

試しつつ生活している。

どーしたってこーしたって、心も体もどこかがいつも緊張しているのだもの。

そして時々意識を宇宙方面にむけると、あまりに壮大でけっこう気がそれるのでよい。

庭のある箱に乗って旅してる、みたいな。

 

全てが終わることはないかもしれないけれど、

終わりが見えるころにはたくさんの気づきがあれば、と思う。

 

 

 

- 00:21 -
20200323

 

本日、野菜パトロールデイ。

いつものところ、野菜の盛りがやや小ぶりになっていた。

ルッコラもうすぐ終わってしまうのかな。花咲いてる。

茎のところもちょっと繊維っぽくてかためだった。

3軒目のところ、お目当てのスティックセニョールがないので帰ろうとしたら、

遠くからおじさんが、「のらぼう採ったばかりのあるけどいる?」と。

すでにもりもりのかごの中にのらぼう追加。

採ったばかりとか言われたら買うやん。

のらぼうは、お浸しとパスタとオイル煮以外の食べ方を探そう。

ちょっと飽きてきた。

 

::

 

賞味期限のきれそうなマスカルポーネを発見。

なにかにせねば、ととりあえずクレープを焼く。

そば粉も入れてみた。

そば粉の粘りがすごいので薄めようと材料を足していたら結構な量になった。

天気がいまいちなので、午後に娘と遊びながら焼けばいいやと思っていたら、

買ったばかりのフライパンが殊のほか気持ちよく焼ける。

だんだん面白くなってきて、途中から娘にテレビを見せて自分が集中して焼く。

最初はあそびだったのに、完成させたい気持ちが強くなってきて自分が集中しすぎるのは、

決して悪いことじゃないけど、子どもにとってはどうなんだろう、

形にならずとも過程を楽しむということがだいじうんぬん、でも材料もったいな…

などと自問しつつ焼いていたら最終的にものすごい数になった。

こんな大量のクレープ消費するにはあれしかない、ミルクレープ。

という経過を経て、なんか余計にめんどうなことになった上に、

今日もマスカルポーネ使えず。明日に持ち越し。

 

 

 

子どもの絵具遊びの産物。

今つくりたい色たちが凝縮していたので記録として残す。

 

藍色、かっこいいなあー

先日イセタンでついお買い物したのも、ふたつとも藍だった。

とびきりすてきな女性ふたりからの最高の笑顔つき。

ムラサキと黄緑もやりたいな。春だから頭の中が色でいっぱい。

はやく作りたい!

 

:::

 

ヒナタノオトさんが新たに立ち上げたオウンドメディア、「手しごとを結ぶ庭」

「葉」のコンテンツにて連載?スタートしています。

8人の作り手の織り成すことばの世界。

私はなんというか、食卓の中の豆的な文になれたらいいなと思っています。

 

- 23:44 -
20200311

昨日、娘がねむるときに小さな声で「コマネチ…」と何度も呟いていた。

平成生まれ、令和育ちのちびっこがなぜ、と思ったが

こういうのを吹き込む人間がうちには一人いるので、

あいつめ…と思いながら寝た。

 

そんな夫は、米津玄師がすんなり言えない。

頭のなかでいちど「玄米黒酢」の字面を経由しなければならないらしい。

骨の髄まで昭和だ。

 

くだらないことで笑えるふつうの日が、いちばんいい。

- 16:37 -
FLOWERS FOR LIFE

 

自分のなかで、コトリ、となにかが動いたような感じがしている。

 

大学のころ、器とも、オブジェともいえないような曖昧なものを作っていた。

ひたすら自分の好きな線、フォルム、質感ばかりを探していたころの感覚を

すこし思い出した。

卒業後、自分の作っているようなものでごはんを食べていくのは

ちょっと難しそうだなあと感じて、

とにかくきちんと食器が作れる人間になりたいと強く思っているうちに、

知らず知らずのうちに忘れていってしまったもの。

でもきっとすごく好きだったはずのもの。

 

そういうのが、年明けあたりからふわーっとにじむように形を成していくのを

感じていて、

気負うことなくつるっと生まれた。超、安産。

新しいものを作ろうとするときの、

肩に力が入ったり気持ちがぐいっと前のめりになるようなことではなくて

ずっと奥底にあって表に出る時期を待っていた、そんな感じだった。

なにこれ不思議、といまも思っている。

 

 

そんなこんなで、思う存分やりたいことばっかりやって、

ひと窯ぜんぶテスト、みたいな博打もうって

ああ、やっぱり面白いなあ、としみじみ思って作ったものがならびます。

気づけば同じもの、ひとつもなかったなあ。

ぜんぶ一点もの、みたいな展示です。

 

:::

 

 

 

spiral market selection vol.432

「FLOWERS FOR LIFE」

会期 2020年2月14日(金)〜2月27日(木)
会場 スパイラルマーケット(スパイラル2F)
営業時間 11:00〜20:00

お問い合わせ 03-3498-5792

 

<参加作家>
・奥平明子
・小野鯛 
・田中直純
・二井内覚 
・松塚裕子 
・八木麻子
(五十音順)

- 23:43 -
20200114

 

「夜からとってきたんだよ」

おもちゃの星を見せながら娘が言った。

 

きみはそんな風に世界とつながることができるのか。

わたしは彼女より言葉をもっているけれど、

こんなに素敵な言い方はできない。

 

とうの昔に自分も見たかもしれないきれいな景色を、

娘の目を通して、もういちど見せてもらっているような冬の夜。

 

 

- 22:15 -
20200110

 

もじゃもじゃのスケッチブック。

最近、つくりたいなあと思ったときに、すぐに形にするのをやめてみている。

土のいいところは、わりとすぐさま形を成すところではあるのだけど、

そのぶん自分の思い描く姿がよほどしっかりイメージできていないと

曖昧な線になりやすいということに気づいた。

うつわのまわりの空気が、こう、もやーんとしてしまうのだ。

きっともっと熟練した人ならばそんなことないと思うのだが、

すこし形にできるようになってきた、くらいの私にとっては、

いまそこを曖昧にするととても危ういような気がしている。

 

何年か前に、モランディの展覧会を見に行った時に眼鏡を忘れていった。

いつもはだいたい描かれている静物そのものに目が行くのだけど、

そのときは画面全体がうすぼんやりとしか見えなかった。

そうしたら不思議なことに、どちらが背景でどちらがモチーフとされるものなのか、

だんだんわからなくなってくるような錯覚を覚えた。

そして最終的に自分が何を見ているのかわからなくなってしまった。

しいて言えば、そのあいだにある空気を見ているみたいなかんじ。

その時なんとなく、立体を作るということは、

そのものがある背景をつくることと一緒なのかとぼんやりと思ったのだ。

物理的に形を成すのは土なのだけど、

そのまわりの空気の層をもつかまないといけないような気がしてきたというか…。

ああ、うまく言えないもどかしさよ。

 

というわけで、思い描いた形を少し泳がせてみる、というのをやっている。

自分で立ち姿を見てみたいと思ったときにはじめてつくる。

そうすると、ろくろを挽いたときに、

まっさらのきれいな紙に清書しているような気持で向かえる気がする。

 

たちものだけじゃなく、皿に対してもこういう気持ちで向かっていけるようになるのが今年の目標。

 

 

- 23:28 -
20191231

 

一日いちにちは長いのに、今年があっというまに過ぎてゆく。

去年のいまごろ、しっかり歩けもしなかった娘は、

いま猛烈におしゃべりしながら走っている。

ちなみに去年のいまごろ私は、仕事再開の個展準備のさなか、

猛烈に緊張して焦っていた。

いまは、ようやく穏やかな気持ちで作業場の掃除をして黒豆を煮ている。

 

すべて一日いちにちの積み重ねのうえの今。

すごいことだなあと思う。

 

仕事のペースをどのようにしていくか、

娘の調子を見ながらの模索の日々だった。

夜型にしてみたり、朝方にしてみたり、昼型?を試みたり。

うまくいくときもあれば、ぜんぜんダメなときもあって。

焦りも多くて、夫には過去イチ、八つ当たりしたように思う。

 

それでも一日終えて布団にはいるとき、私のガッサガサの手を、

もちもちの娘の手がするすると撫でてくれる。

それだけで、すべての心の起伏がなだらかに穏やかに整えられていった。

生きているだけで、それだけでよいのだと思える瞬間を幾度もいくども

わたしに教えてくれた。

あほな私はすぐに欲張りになる。

作ることは、当たり前のことではない。

仕事を続けられることは、与えてくれる人がいて、健康な心と体があって、

家族が元気で生きていてくれるからこそ。場所があるからこそ。

災害の重なった今年は、とくにそう思える。

全てをあたりまえにしないこと。

 

来年も、ひとつずつ丁寧にむきあっていこうと思う。

 

:::

 

今朝がたの夢に、久しぶりに母が現れた。

母は、だいたい自分の気持ちが次へむかう転機のときに夢に出る。

一度夢の中で、私のところへはどうやって来るのか?と聞いたことがある。

たまたま来ることができるのか、それとも自分の意志でくるのか、とも聞いた。

そしたら、自分がいるところに細い穴があって、

そこを通って自分の意志で来るのだと答えたので、

それ以来私は、母が夢に出るのが楽しみになった。

 

今日は、フワフワした小花をたくさん集めたような大きな花束を手渡してくれたところで目が覚めてしまった。

おめでとう、だったのか、おつかれ、だったのか。

とてもいい夢だったな。

 

- 15:30 -
1121

 

大阪での個展が無事におわる。

たくさんの人に足を運んでいただき、ほんとうにありがたかった。

ようやく、ほっとする。

今回は、準備期間がなかなかしんどかった。

夫も仕事が忙しい時期で子供を預けられず、

途中いろんなことが重なって絶叫しそうであった。

しかし、そんな中でもなんとかやり切れたということが、

自分の中のゆるぎない自信になったようにも思う。

置かれた状況で、どうやって工夫するか、そして楽しむかというのは

永遠の課題なのだろう。

 

大阪の個展に合わせて、丹波の省三窯へ神戸時代の恩人を訪ねた。

相変わらずの笑顔と、気取らないやさしさで、

いつ会っても広々とした山を思わせるひと。

 

大学勤めの傍らで自分の制作をしていた20代のころ、わたしの作る皿を見て

「まっちゃん。

ひとがお金をだして大切にしたいと思うものを作らなあかんで。

いまのまっちゃんの作品は、お金を出して買いたいとはおもわへん。」と。

作品のことに何か言われたのはこのときだけだったが、ガツンときた。

大学時代に作っていたオブジェ的な作風と器とのはざまで揺れていた頃で、

帰りの車の中、悔しくて悲しくて、大泣きして帰った。

それは、言われたことが自分でも感じていた本当のことだったからだろう。

絶対に嘘を言わない人だったし、

やきものの仕事一本で家族を養って生きてきた人の言葉の重みが痛いほど響いた。

今でも忘れられない。

ひとりで仕事をする中でたびたび思い出す。

自己表現と人が使う道具、との間でゆれるたびに。

どちらがいいとかではなくて、どうバランスをとるか、

その塩梅のなかに自分が作るという意味をみつけたいと思うたびに

いつも先生の姿が浮かんだ。

 

どんな人にも丁寧で、惜しみなく。

正直だけど、絶対に偉ぶらず、最後は自虐で笑いにする。

私が学生の素行にイライラしていても、

「まっちゃん、愛やで。愛。

愛のないところからは何もうまれへん。」といつも言う。

私にとって、やきものの父のような人。

 

大学の職からはなれて、丹波の生活に戻った先生は、

作っとるときが一番幸せや、と笑っていた。

どうかいつまでも元気で作り続けてください。

わたしもがんばります。

 

 

- 15:20 -
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