FLOWERS FOR LIFE

 

自分のなかで、コトリ、となにかが動いたような感じがしている。

 

大学のころ、器とも、オブジェともいえないような曖昧なものを作っていた。

ひたすら自分の好きな線、フォルム、質感ばかりを探していたころの感覚を

すこし思い出した。

卒業後、自分の作っているようなものでごはんを食べていくのは

ちょっと難しそうだなあと感じて、

とにかくきちんと食器が作れる人間になりたいと強く思っているうちに、

知らず知らずのうちに忘れていってしまったもの。

でもきっとすごく好きだったはずのもの。

 

そういうのが、年明けあたりからふわーっとにじむように形を成していくのを

感じていて、

気負うことなくつるっと生まれた。超、安産。

新しいものを作ろうとするときの、

肩に力が入ったり気持ちがぐいっと前のめりになるようなことではなくて

ずっと奥底にあって表に出る時期を待っていた、そんな感じだった。

なにこれ不思議、といまも思っている。

 

 

そんなこんなで、思う存分やりたいことばっかりやって、

ひと窯ぜんぶテスト、みたいな博打もうって

ああ、やっぱり面白いなあ、としみじみ思って作ったものがならびます。

気づけば同じもの、ひとつもなかったなあ。

ぜんぶ一点もの、みたいな展示です。

 

:::

 

 

 

spiral market selection vol.432

「FLOWERS FOR LIFE」

会期 2020年2月14日(金)〜2月27日(木)
会場 スパイラルマーケット(スパイラル2F)
営業時間 11:00〜20:00

お問い合わせ 03-3498-5792

 

<参加作家>
・奥平明子
・小野鯛 
・田中直純
・二井内覚 
・松塚裕子 
・八木麻子
(五十音順)

- 23:43 -
20200114

 

「夜からとってきたんだよ」

おもちゃの星を見せながら娘が言った。

 

きみはそんな風に世界とつながることができるのか。

わたしは彼女より言葉をもっているけれど、

こんなに素敵な言い方はできない。

 

とうの昔に自分も見たかもしれないきれいな景色を、

娘の目を通して、もういちど見せてもらっているような冬の夜。

 

 

- 22:15 -
20200110

 

もじゃもじゃのスケッチブック。

最近、つくりたいなあと思ったときに、すぐに形にするのをやめてみている。

土のいいところは、わりとすぐさま形を成すところではあるのだけど、

そのぶん自分の思い描く姿がよほどしっかりイメージできていないと

曖昧な線になりやすいということに気づいた。

うつわのまわりの空気が、こう、もやーんとしてしまうのだ。

きっともっと熟練した人ならばそんなことないと思うのだが、

すこし形にできるようになってきた、くらいの私にとっては、

いまそこを曖昧にするととても危ういような気がしている。

 

何年か前に、モランディの展覧会を見に行った時に眼鏡を忘れていった。

いつもはだいたい描かれている静物そのものに目が行くのだけど、

そのときは画面全体がうすぼんやりとしか見えなかった。

そうしたら不思議なことに、どちらが背景でどちらがモチーフとされるものなのか、

だんだんわからなくなってくるような錯覚を覚えた。

そして最終的に自分が何を見ているのかわからなくなってしまった。

しいて言えば、そのあいだにある空気を見ているみたいなかんじ。

その時なんとなく、立体を作るということは、

そのものがある背景をつくることと一緒なのかとぼんやりと思ったのだ。

物理的に形を成すのは土なのだけど、

そのまわりの空気の層をもつかまないといけないような気がしてきたというか…。

ああ、うまく言えないもどかしさよ。

 

というわけで、思い描いた形を少し泳がせてみる、というのをやっている。

自分で立ち姿を見てみたいと思ったときにはじめてつくる。

そうすると、ろくろを挽いたときに、

まっさらのきれいな紙に清書しているような気持で向かえる気がする。

 

たちものだけじゃなく、皿に対してもこういう気持ちで向かっていけるようになるのが今年の目標。

 

 

- 23:28 -
20191231

 

一日いちにちは長いのに、今年があっというまに過ぎてゆく。

去年のいまごろ、しっかり歩けもしなかった娘は、

いま猛烈におしゃべりしながら走っている。

ちなみに去年のいまごろ私は、仕事再開の個展準備のさなか、

猛烈に緊張して焦っていた。

いまは、ようやく穏やかな気持ちで作業場の掃除をして黒豆を煮ている。

 

すべて一日いちにちの積み重ねのうえの今。

すごいことだなあと思う。

 

仕事のペースをどのようにしていくか、

娘の調子を見ながらの模索の日々だった。

夜型にしてみたり、朝方にしてみたり、昼型?を試みたり。

うまくいくときもあれば、ぜんぜんダメなときもあって。

焦りも多くて、夫には過去イチ、八つ当たりしたように思う。

 

それでも一日終えて布団にはいるとき、私のガッサガサの手を、

もちもちの娘の手がするすると撫でてくれる。

それだけで、すべての心の起伏がなだらかに穏やかに整えられていった。

生きているだけで、それだけでよいのだと思える瞬間を幾度もいくども

わたしに教えてくれた。

あほな私はすぐに欲張りになる。

作ることは、当たり前のことではない。

仕事を続けられることは、与えてくれる人がいて、健康な心と体があって、

家族が元気で生きていてくれるからこそ。場所があるからこそ。

災害の重なった今年は、とくにそう思える。

全てをあたりまえにしないこと。

 

来年も、ひとつずつ丁寧にむきあっていこうと思う。

 

:::

 

今朝がたの夢に、久しぶりに母が現れた。

母は、だいたい自分の気持ちが次へむかう転機のときに夢に出る。

一度夢の中で、私のところへはどうやって来るのか?と聞いたことがある。

たまたま来ることができるのか、それとも自分の意志でくるのか、とも聞いた。

そしたら、自分がいるところに細い穴があって、

そこを通って自分の意志で来るのだと答えたので、

それ以来私は、母が夢に出るのが楽しみになった。

 

今日は、フワフワした小花をたくさん集めたような大きな花束を手渡してくれたところで目が覚めてしまった。

おめでとう、だったのか、おつかれ、だったのか。

とてもいい夢だったな。

 

- 15:30 -
1121

 

大阪での個展が無事におわる。

たくさんの人に足を運んでいただき、ほんとうにありがたかった。

ようやく、ほっとする。

今回は、準備期間がなかなかしんどかった。

夫も仕事が忙しい時期で子供を預けられず、

途中いろんなことが重なって絶叫しそうであった。

しかし、そんな中でもなんとかやり切れたということが、

自分の中のゆるぎない自信になったようにも思う。

置かれた状況で、どうやって工夫するか、そして楽しむかというのは

永遠の課題なのだろう。

 

大阪の個展に合わせて、丹波の省三窯へ神戸時代の恩人を訪ねた。

相変わらずの笑顔と、気取らないやさしさで、

いつ会っても広々とした山を思わせるひと。

 

大学勤めの傍らで自分の制作をしていた20代のころ、わたしの作る皿を見て

「まっちゃん。

ひとがお金をだして大切にしたいと思うものを作らなあかんで。

いまのまっちゃんの作品は、お金を出して買いたいとはおもわへん。」と。

作品のことに何か言われたのはこのときだけだったが、ガツンときた。

大学時代に作っていたオブジェ的な作風と器とのはざまで揺れていた頃で、

帰りの車の中、悔しくて悲しくて、大泣きして帰った。

それは、言われたことが自分でも感じていた本当のことだったからだろう。

絶対に嘘を言わない人だったし、

やきものの仕事一本で家族を養って生きてきた人の言葉の重みが痛いほど響いた。

今でも忘れられない。

ひとりで仕事をする中でたびたび思い出す。

自己表現と人が使う道具、との間でゆれるたびに。

どちらがいいとかではなくて、どうバランスをとるか、

その塩梅のなかに自分が作るという意味をみつけたいと思うたびに

いつも先生の姿が浮かんだ。

 

どんな人にも丁寧で、惜しみなく。

正直だけど、絶対に偉ぶらず、最後は自虐で笑いにする。

私が学生の素行にイライラしていても、

「まっちゃん、愛やで。愛。

愛のないところからは何もうまれへん。」といつも言う。

私にとって、やきものの父のような人。

 

大学の職からはなれて、丹波の生活に戻った先生は、

作っとるときが一番幸せや、と笑っていた。

どうかいつまでも元気で作り続けてください。

わたしもがんばります。

 

 

- 15:20 -
1105

 

今年はホトトギスがたくさん咲いた。

もうすぐ個展。

以前より、展示と展示のあいだの期間を長くあけているぶん、

ひとつのことへ向かう力はおのずと濃くなっているように思う。

もともと、いくつものものごとを並行してうまくやるのが苦手な自分には、

このやり方は合っているのかもしれない。

 

今日、作品をすべて発送した。

秋晴れの空の下、芝生のうえでごろんとして、弁当など食べる。

言いようのない解放感がこみあげる。

今できることはすべてやり尽くした。

もう、あとは楽しもう。

結局、この感情に行きつけるかどうかが、

いつも自分にとっていちばん重要な気がしている。

 

 

 

- 15:20 -
1026

 

植物園は秋の空。

おじさんがふたりむかいあって座り、地平線の話をしている。

どんなに素晴らしかったか、を。

水筒にいれたお茶、おにぎりを持参していて、

ふたりともチェックのシャツを着て。

ここ深大寺で見たこともない世界の景色とつながる不思議さよ。

ふたりの旅の話に、こちらもやっぱりおにぎりを食べながら

ふむふむと耳を傾ける午後。

 

植物園は、みんながそれぞれ好き勝手やっていて、幸せそうなのがいい。

目的がおだやかだし、ゆっくり歩くかんじも心地よい。

10年前、やきものの仕事がぜんぜんなくって、失業保険も尽きたので

ここにバイトの申し込みをしたのを思い出した。

いまでも心のどこかで、いつかここでバイトしたいなあと思っている。

- 13:15 -
1025

 

 

 

一日中雨がふる。うたたねする。

小さくてあったかくてしめっぽい塊に身を寄せて私も丸くなる。

湿気でくるっとなった娘の髪の毛のさきっぽが頬にあたってかゆい。

さっき台所で煮たりんごの甘いにおいが微かに漂うなか、

眠たいんだか眠たくないんだかの狭間を行ったり来たりしている。

ようやく自分の体に戻ってきた、という感覚。

旅をして帰ってきた後みたいな感じがする。

実際はそんなに長くはなかったが、

いろんな感情が湧き出るようにうまれた数日だったように思う。

 

あたらしく調整した釉薬の色がすごく好きになった。

ピンクとグレーとベージュがまざったような。

前にも作ったことがあるけれど、その時受けた印象とまた違うと感じるのは、

私が変化したということなんだろうか。

やることがあるけれど、窯からこの色がでてきたときに

なんとなく今日はもう昼寝してもいいかなと思った。

個展のときに、こういう瞬間をまとったものがひとつでもあるかないかというのは、

ほんとうにほんとうにだいじなことだと思う。

その空間に自分が立っているとき、それはお守りみたいな存在になる。

いまの自分の心にどしんと響くものを持っていけなければ、やること自体に意味がない。

そんな風に思うのは、たくさんの真剣な人たちを目の当たりにしたからだと思う。

 

ここ最近もわもわと漂っていた気持ちに少し行き先が見えたような気がする。

日々かわってゆくことに、鈍感にならぬように。

心のありように正直にいられるように。

 

来月は、ずっと会いたかった人に会いにいける。ようやく。

 

 

 

 

 

- 01:32 -
夜中のひとりごと

こんな夜更けにパソコンぱちぱち。

 

本のリストをつくる。

作り手のみなさまから寄せられた本、文章、お手紙をみながら、

ひとりで爆笑したり、ちょっと泣いたりしながら。

こわいでしょう、ええ、こわいでしょうね、はたから見るとね。

 

しかし、なんという面白さ!

ひとりの人のなかにある無限の宇宙を感じて、

なんともいえない広々とした気持ちになっている。

最近の、目を覆いたくなるような窯の失敗が続いて、

ばっさばさに乾ききった心に、ポカリスエットきました。ザ・潤い。

 

いまは時間がなくて、全然ゆっくり本読めないけども、

いつかこのリストの本ぜんぶ読みたい。

この企画、絶対面白いよなあ、と一人で興奮。

さー、続きに戻ろうかね。

詳細はまた改めて。

 

- 01:23 -
新しい筋肉

 

ようやく、夏。

いきなり、夏。

もうれつに、夏。

あちいです。もういいです。秋が好きです。

 

書きたいことは日々あれど、気力も体力も尽き果てて夜になる。

これまでは、思考と行動のスピードが将棋さすくらいの速さだった。

相手がさす、じーっと考える、自分さす、くらいの間。

もともと色々遅めな自分にしては、それくらいでちょうどよかった。

しかしながら、今は日々が卓球のラリーくらいのスピードで動いている。

気持ち的には、はじめての部活でちょっと打てるようになったかな、

くらいのとこで、プレーする相手が伊藤美誠ちゃんになってどうしよう、

みたいな感じです。

2歳間近のこども、ひとときもじっとしていない。

細胞が若いって、ほんとうにすごいこと。

これまで鍛えたことのない筋肉を(精神的な)酷使しています。

 

そして昨日、もう2か月にもおよぶ夫の仕事の手伝いが終わる。

主に制作に関する文章をつくるもの。疲れ果てた。

違う分野のあれこれを言葉で説明することの難しさたるや。

夫の書く文も非常にわかりづらく、夜中に何度も口論になる。

色々ぎりぎりになったときに、

「結局のところ、いったい何が描きたくて絵をやってんだ!」と聞く(キレる)私に、

「人が生きてる…てこと…かも。」と答えた夫。

ああ、それならわかる。すごく、わかる。

わたしも、そんなふうに思ってつくる瞬間がたしかにある。

自分と夫の制作はジャンルも違うし、好きなことも興味の対象も全く異なるけれど、

言葉にできない何かは確実に共有している気がしていた。

そうじゃないと、同じ空間で作ってはこれなかっただろうから。

ああ、そういうことなのかと腑に落ちた。16年目の発見。

不思議な瞬間だった。

最高に面倒くさかったけれど、これが聞けてよかったと思う。

 

鬼のようなラリーの応酬がつづく日々のなかでも、

時間がゆっくり流れているなと感じる瞬間もたしかにある。

ほんとうにふとしたとき。

それは昔はきっと自分一人でいる時間のなかにあったものだとおもうけれど、

今は、自分以外の誰かをみているときの中にある。

 

あたらしく鍛えた筋肉をたずさえて、自分はこれからどこに漕いでいくのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

- 22:52 -
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