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20231114

時間をかけて熟考した結果、最後の段階になってやっぱり違うのではないかと足踏み状態になっている案件があり、ここ数日、自分ほんと意味わかんないな…となっていた。

しかしながら、結局それは芯の部分とは違うことをしようとしているってことなんだろう。

その最後の砦になって決断を阻むものって、もはや勘としか言いようがない。

わずかな知恵を振り絞り、普段あんまり使わない脳を悩ませ一生懸命考え準備してきたが、最後のところで「なんとなく」身体が動かない。今後はこのような状態のことを、筋肉の抵抗と呼ぶことにしよう。

 

筋トレもちょっとダレ気味だった夏、どうせ汗かくならもう外走ればいいやん、となって以来ランニングが続いている。走り始めてからペースをつかむまでが苦しいのだが、何かの瞬間にぱっとスイッチが入るみたいなときがあって、そこからは自分のペースでリズムよく体全体が機能している感じがありとても気分がよい。頭の塵がさーっと消えてまっさらな中を走るみたいな感覚である。

かっこよく走ろうとしたり、前の人のペースに気をとられていたり、まわりのガヤっとしたものが気になるときはまだ居心地が悪い。

だから、小さな違和を取り除きながら、これからも自分のペースを守ればいいんだよなと思う。

 

数年前は子乗せチャリのスピードだった。後ろ乗ってるからね、重いよね。

こわごわ走るちっさい自転車と並走するくらいがきっと、私のいまのちょうどよいスピードなんだろう。

そんなこんなを深夜の窯詰めで冷え切った体を風呂であっためながら考えていた。たぶん今日はよく眠れる。

- 00:48 -
20231023

 

先週、子どもの芋ほり行事が朝イチ最速で終了したので、いい天気に誘われて天文台方面へ。

なにがいいって、天気がいい。そして平日午前中の人の少なさがいい。

古民家の縁側でごろごろしたり、本を読んだりそれぞれで過ごす。

軒下には干し柿がぶらさがり、秋の庭の色づきも美しく。

居るだけで心地よく、最近の慌ただしさが抜けてゆくよう。

ああ、こんな家に住みたい。

その後飛行場に移動して、すこんと抜けた青い空にとけてゆく飛行機を眺めつつ、久しぶりにゆっくりビールを飲んだ。

明るいうちから飲む酒はどうしてこんなにおいしいの。

 

予定がすっぽり空くって、とても贅沢だなあと思う。

空白の時間に私も子も機嫌よく心地よく過ごせる場所を持っておくのって大事だな。

 

子の行事やら自分の展示が絶え間なく続く日々。なんだかゆっくり座って文章を綴ることもせずにいたけど、秋は読んだり書いたりしたくなるし、夏の盛り上がりを意識的にトーンダウンさせてきちんと心の内を整理してゆくのもけっこう必要な作業かもしれないと思う。

 

 

 

- 10:31 -
2023夏

 

 

 

いまさらながら台湾のはなし。

8月初旬、個展のためおよそ5年ぶりの台北へ。

前回渡航時、8か月の赤子でほぼ手荷物と化していた子どもは、自分の足で歩き、土地のものを味わい、主張をするようになった。子どもの5年ってすごい。

 

前日まで台湾付近に台風が停滞しており、数々の飛行機が欠航になる中、遅れることもなく奇跡の渡航であった。

 

私が行かずとも、きっとすばらしいスタッフの方が丁寧に仕事を紹介してくださっただろう。それでも、現場に行って実際に肌感覚で作品の在る空気を感じることの大事さを改めて思った旅であった。へんてこな英語と、中国語は你好と謝謝のみ、そして日本語を駆使して台湾のお客さんと話をしたこと、気持ちが通じたなあと思う瞬間があったこと、本当に嬉しかった。作品を通して、人と繋がれることの喜び、しかも海を越えて。何かと思考が内向きになりがちな自分にとっては、自分の作ったものから波紋のように外に広がるこの感覚を強く思い出すことができたのは大きかった。ひとり部屋で作り続けていると、やっぱりふとしたときに思う。自分の作るものってこのさき何につながっているのかな、と。独立したころに持っていたひりひりした焦燥感ほどには強くないけれど、冷たい小さな石っころみたいな思いが胸につっかえる時だってあるのだ。

小さな作業部屋から広がり続く世界のことを、夏の熱気とともに身体じゅうで感じて(ZARD風味…)腹に落とし込めたのは、ほんとうよかったなあと思う。

 

旅のあいだじゅう、むかし母がくれた手紙の中の「小さな一歩がやがてたおやかな道へとつながりますように」という一文を思い出していた。たぶん、陶芸を始めてまもないころだったのか、初めての個展の前だったのか。救援物資とともにいつも入っていた手紙だけは全部残して今も時折見ているのだけど、その一文は制作を続けるにあたってずっと心の中にお守りのように持っている。

自分が親になったいま、母の子育てに関しては疑問に思うところも多々あるのだが(笑)、最終的には自分自身の選択をとにかく応援してくれたことはやっぱりとてもありがたいことだった。

誰かが、誰かの進む道を静かに祈る…というのは、こんなにも長きにわたって人を支えるのだなと思う。

わたしも子どもにそうできるかなあ。

 

たくさんの喜びがあった台湾。つぎは4年後に、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

- 11:14 -
20230723

子どもが幼稚園の一大イベントお泊り保育から、胸いっぱい、きらきらの目をして帰ってきた。

とにかくすべてが楽しくて楽しくてたまらなかったらしい。

一日中何があったのかをことあるごとに報告し、夜寝るときも、こんな面白いことがあって、友達があんなこと言ってて、と話が尽きず寝落ちる寸前までよろこびに包まれていた。

私にもかつて、これから起こることが楽しみで眠れず、その日あったことを思い出しながら胸がいっぱいで眠れない、そんな夜があった。夏がやってくるだけで、何かの予感に満ちて胸が高鳴る、輝く時間があった。そんなことを思い出していた。

ねえ母ちゃん、みんなで飲んだ梅ジュースもカレーも野菜も、おにぎりも、うちで食べるのの100倍美味しかった!ふしぎ!と言う子の気持ちがよくわかる。

小学生の時プールの後に食べた、風船みたいなビニールに入ったたまご型のアイス、市民プールの前の駄菓子屋で買ったやきそばUFO。湯切りを失敗した誰かが散らばした麺がいつも排水溝にひっかかっていた。友達の家に泊まった翌朝寝ぼけまなこで食べたその子のお母さんが作ってくれたホットケーキ、高校生のとき海で食べたマック、キャンプの夜自転車を二人乗りしてコンビニに買いに行ったガリガリ君。今でも覚えている私の記憶のなかの味。そのどれもがとびきり美味しかったのはなぜだろう。何を食べるかではなく、その一瞬の特別な時間を誰かと共有することで生まれる美味しさ。私たちはあの時きっと時間を食べていた。それは生きていくなかで、必ず心の栄養になっていくことを私は知っている。5歳の娘が、彼女なりにそのことをめいいっぱい感じて帰ってきてくれたことがとても嬉しかった。人とともに味わう喜びをこれからもたくさん知って、きらきらと輝く粒のような自分だけの思い出をもって大きくなってほしいなあと思う。

はじめて子が家にいない夜、友達と飲みに行ったクラフトビールは全身に染み渡った。安堵と開放感に包まれて飲むビールは何よりもうまい。飲みすぎて駐輪場が閉まってしまい、自転車がとりだせなくて結局歩いて家まで帰ったというオチがついたが。

 

制作の山を越えた7月後半を、夏の温度に身を溶かしつつゆっくりと過ごしている。

作り続けた半年、自分もふくめ家族みんなよく頑張った。心身ともに張り詰めることが多かったので、今回こそはもう無理かもしれないと思いつつも漕ぎ続けることができたこと、感謝しかない。

しばらくはのびきったパンツのゴムよりもっと緩く、日々の暮らしを楽しみたい。

 

 

 

 

- 15:54 -
20230707

窯たきが山場。

7月初旬にしちゃ暑すぎやせんかね…

灼熱小屋で、6時間ぶっ通しで釉がけと窯詰めをしたら一日で体重が1.5キロ落ちていた。

貯筋(貯めておいた筋肉)でなんとかもっている感じがする。

 

温度を上がるのを待ちながらついナウシカを見てしまう。

虫と心を通わせる少女。

うちにもいますよ、リアルナウシカ。

金柑の青虫に頬ずりし、道路で輪っかになって干からびたミミズを「素敵な指輪!」と言って見せに来る5歳児。

ずっとこんな感じでいくのかな、この人…って思うときがある。

 

窯はあと一回。

もう今までの中でダントツしんどかった準備期間。

ぐらぐらの舟に乗って何とか進んでいる感じ。

見たかったあんな展示やこんな展示もほぼ見られず、もうひたすら目の前の生活と制作のみをじっと見つめて漕いできた3か月。

 

がんばれ自分、あと少し!今週無事に作品たちを送り出せたら週末は心置きなくビールを浴びる予定。

- 23:22 -
20230615

忘れられない一週間であった。

5月末から体調を崩していた子どもが、二次感染で肺炎にかかり入院した。

朝から2つの病院をまわってものすごい長い時間待ち、ようやく血液検査をしたら即入院。もちろん私も一緒に。コロナの影響で、付き添いは一人、お父さんとの交代もできません、と。その週は展示会の搬入もあるし、進行が遅れ気味の個展の準備、家のことなどなどめいいっぱい抱えた状態だったので、膝から崩れ落ちた。

 

焦りと不安と疲れが重なったのか、自らも発熱した入院生活二日目の夜。

そろそろ寝ようかと準備をしていた時に、突然絶叫に近い声が廊下に響き渡った。

体中から振り絞るような、遠吠えのような声。大きく、長くそれは続いた。

小児病棟には本当に色んな子どもたちが入院している。前日廊下を通ったときに、たくさんの先生たちが集まっている部屋があってなんだろう、と少し気になったことを思い出して、はっとした。

お子さんを亡くしたお母さんの声だ。

なんの声なの、こわいよ、とおびえる子どもを抱きしめて、ただただ泣くしかできなかった。

人の心がつぶれる音を、魂が叫ぶ音を、こんなにも悲しい音を、初めて聞いた。

静かな夜だった。たくさんある個室にはお母さんと子どもが大勢いるはずなのに、みなとても静かだった。

大きな悲しみが病棟全体に横たわっていた。

 

夜、眠れなくなって色んなことを考えていた。

どうか元気で生きていて。産まれたとき、もうそれだけでいいと思っていたのに、歳を重ねてできることが増えてくるとどんどん求めることも多くなる。元気で生きていればそれでいい、何ができなくてもいい。きっと私はそのことを思い出すためにここに来たんだろう。

仕事も、家族が元気でいてくれるからこそできること。

自分は欲張りだから、ついもっと、もっとと思ってしまう。

「子どもがいると自分が思う仕事量の全部はできないよ、でも2割できたらいいんだ、と思って続けた方がいいよ」と言ってくれた作り手の先輩。「スピードが落ちてもいい、でもエンジンはきっちゃだめ」と話してくれたギャラリーのオーナーさん。色んな人の顔が浮かんだ。今の自分ができる、ベストを尽くしたらいい。煙のように漂っていた不安や焦りが、ひとつずつ腹におさまっていくのを感じていた。

どんなことも、決して当たり前のことじゃない。

あの夜のお母さんの声を、私は一生忘れない。

たくさんの奇跡が重なった上を自分が歩いていることを、絶対に忘れてはいけない。

 

約1週間の入院生活。

日々食べ物を届けてくれた友人のおにぎりと野菜たっぷりのおかずたち。

熱のある身体に染み渡った手作りの琵琶ゼリー。

多くは語らず、そっと心のこもったお見舞いを届けてくれた友人の手紙。

家族からの電話。大事なひとたちの、その柔らかな気遣いにどれだけ救われたことか。

長い時間をかけて気持ちを返していきたい、そう思う。

入院生活に慣れてきた頃、深夜友人から借りた「ガラスの仮面」をスマホのライトで照らして読んでいたところを看護師さんに見つかり、ぎょっとされたのももはやよき思い出である。廊下に変な影がもれていた様子。不謹慎な親ですんません…。

 

子は日に日に回復しようやく日常が戻ってきた。

ごはんを美味しく食べられること、両手を使って工作ができること、お風呂にゆっくりつかれること、慣れ親しんだ自分の布団で眠れること。

今まで当たり前のことだったその一つ一つを、新鮮に喜ぶ姿が愛おしかった。

あなたが元気に生きていることは、奇跡だ。

 

 

- 21:51 -
20230511

 

清々しい陽気が午後から雨に変わる。

友人から株分けしてもらったエルダーフラワーが、今年は8房も花をつける。去年は2房だった。プチプチの可憐な花とさわやかな香りがいいなあ。地植えにしようか迷うけれど、うんと茂ってしまうかな。

GWは久々に庭をごそごそ、近所を徘徊して過ぎて行った。

 

10年ほど前から聞き続けていた仕事のお供のラジオ番組がおわってしまい、しばしBGM迷子だったのだが、最近は安住紳一郎の日天をさかのぼって聞いたりなどして落ち着いている。

子が産まれてから制作時間帯が変わり、ラジオがお友達という生活から少し離れた時期もあったけれど、久しぶりに耳にするラジオはやはりとてもよい。

テレビはたくさんの情報がみえるのに、本当のところが見えてこないと思っている。ラジオからは、その人自身が伝わってくる。隠し切れないその人そのものみたいなものが、番組を通して立ち現れてくる気がする。

そういえば最近、眼鏡をなくして新調するにあたり、コンタクトも作ってみたが、どうも毎日つけるという習慣が根付かない。眼鏡をかけないと運転できないくらいの目の悪さにも関わらず、今までの日常生活、なんとかやりすごしてきてしまった。向こうから来る人の顔がぼんやりしてるので、知らない人なのにやたらとフレンドリーに挨拶してしまったりするときもあるのだがまあいい。ちゃんと見たくて眼鏡をするときと言えば、運転時、映画と絵画鑑賞時、飲み屋の看板のメニューを見るとき(とても重要!)の3つくらいか。どうも自分にとっては目で見えている情報というのが、そんなに重要でもないらしいと気付いた。

その場に漂う空気のようなものが、自分の心身にどう響くか、さらに言えば筋肉がこわばるか緩むかみたいな、とても野性的な部分で色んなことを捉えているっぽい。

 

 

今日は午前中、幼稚園の行事で親子遠足だった。

大きな木がざわざわと揺れる様子を見ているだけでも気分が良かったが、昔のことを少し思い出す。

幼稚園の時の遠足、両親が共働きだったので私は祖父と一緒に参加した。

昨今はお母さんだけではなくてお父さんや祖父母との参加も珍しくないのだけど、当時は圧倒的にお母さん方が多かった。その中でよくぞ参加してくれたものだと、あの世で祖父に会ったら今一度御礼を言いたいくらい。けれどその時は、なんだか集団のお母さんたちの中で大好きな祖父といるのに居心地が悪くて、せっかく買ってもらったアイスもぼそぼそ食べたっけなあ。あのへんから、私の女性だけの集団がちょっと苦手みたいなのが始まった気がする。今でも行事などで親子〇〇みたいなのがあると、楽しみより先にちょこっと気が重くなるのはその記憶があるからなのか、ただ単に自分の性分なのか。40年くらいたつのに、まだ覚えているなんて私も相当にしつこいとは思うが。

 

快晴のもと、新緑のなかでビールを飲んで昼寝できたら、もっと最高だったな。

 

 

 

- 17:00 -
20230301

 

丑三つ時から窯詰めをはじめる。

なんだかんだで時間がかかってしまい、ようやく終えて庭にでると東の空が燃えていた。

急いでベランダに出て、ゆっくりじっくりと太陽がのぼる空を見ていた。

ピチピチと鳥だけが鳴く世界の中に自分も身を浸して、その一部となる。

新しい季節がはじまる予感に満ちていて、とてもいい朝だった。

遠くに行かなくても日常のなかに旅があると言っていた友の言葉を思い出す。

 

2月は色んな事が盛りだくさんで、溶けるように終わったけれど、大好きな人たちとゆっくり話をする時間があってとても幸せであった。それぞれに生活のスタイルは違えど、日々を懸命に生きる女性たちには励まされることが本当に多い。ありがたや。

 

- 11:09 -
20230114

正月から、今どきの流行りにのってしまい、娘と二人で仲良くコロナになった。

唯一発症を免れた夫を守るべく、家庭内別居をすること一週間。

一日中べたべたと二人で過ごす。こんなに密に二人で過ごすのは、もしかしたら赤子のときぶりなのではないかと思う。日中は上がったり下がったりする熱でぐったりしているので布団でごろ寝するのだけれど、そうなると夜中の変な時間にふと目が覚めてしまうことがあった。娘も同じサイクルで過ごしているので、二人して同じようなタイミングで目が冴えてしまい、真っ暗闇のなかごそごそと何度も寝返りをうったのち、「寝られないね〜」と言ってふふふと笑ったりしていた。お互いの頬をぺたりとくっつけると、冷えたまんじゅうが張り付いたみたいで、身体はだるいのに妙におかしな気持ちになって、眠くなるまでもそもそとおしゃべりは続いた。

この期間、つい手をのばした佐野洋子の小説を再読して号泣したり、ついうっかり見始めてしまった八日目の蝉でさらに次の日目が開かなくなるほど号泣したりで、寝汗と鼻水と涙にまみれた一週間となった。身体の感覚が戻ってくる中で、妙に心がすっきりとした感じがあり、なるほど、何かが水分と共に押し流されたのだと思った。

 

復活して久しぶりの登園はしぶるかと思いきや、爽やかに離れていく彼女を見て、ひとつのイメージがぼわんと浮かんだ。大きな水瓶の水が、ひたひたとたっぷりに満たされている姿。そうか、これかあ、と腑に落ちたかんじがしたのだ。

子を育てる過程で、私は自分のなかによくわからない「世の中」という枠を作ってしまっていて、そこに外れそうなことがあると矯正したり正したりを繰り返してきたように思う。そこまで強くはなかったかもしれないけれど、やっぱりやってきた気がする。

危険が伴う場合にはもちろんそういうものも必要ではあるが、難しいことなど何もなく、私は満たすことを考えていればいいのかもと思った。たっぷり満たせばきっと人は、自分に必要なことを吸収し学び、伸びてゆく力があって、本来そういう風にできている。

たぶん、今まで私が読みあさってきた本の中にもそういうことは書いてあったはずなのだけど、やっぱり自分の実感を伴わないことは根付かないようで、この養生期間に身をもって知ることができた。それは同時に自分自身の水瓶をも満たすということであるとも思う。

この、とてつもなく大事なことを忘れそうになったら、暗闇で冷えた頬をはり合わせて笑ったあの夜を思い出そう。何度でも。

 

その後夫は、感染することなく乗り切った。家庭内別居中、常に片手にアルコールティッシュをもって私たちが触れたであろう全ての箇所を拭きまくっていたので「アルコール除菌おじさん」と呼ばれていたが、無事無傷で生還したのちは、「奇跡のおじさん」となったのである。

- 22:16 -
20230106

 

胡桃剥きにはまった昨年から引き続き、新年も剥く。

なぜなら、バケツいっぱいの胡桃を拾ってしまったから。

完全体で出てきたときの喜びたるや、複雑な型物をうまく取り出したときのような高揚感に包まれる。

秋のばたばたした期間中、庭に野ざらしになっていたというのに、そんなことはお構いなしにこんなにもきれいな形で眠っていたんだねえ。ようこそようこそ!とおもいながら夜な夜な作業していたら、めちゃくちゃ腕が上がっていま完全体で取り出せる確率は非常に高い。胡桃の手剥き作業所とかあれば就職できるレベルだと思うんだけど…。

私はこういうちいさな地味な作業のなかに、計り知れない幸せを感じられるとてもお得な人間だなあと思う。

 

昨年、秋ごろから色々な再会があった。自分がいままさに考えていることとリンクするような形で、必要な人と絶妙のタイミングで会えるという不思議な期間を過ごした。こんな時期ではあるが、折々で美味しいごはんとお酒とともにたくさんのことを話したのは、心の滋養になるような時間であったと思う。

ここ数年は、心の目みたいなものがパかっとひらいているようで、同じくパかっとしてる人と呼び合うようで、なんともいえない居心地のよさがある。40代、もっともっと勘を研ぎ澄ませて自分の生まれ持った魂の声に忠実に生きたい。

子どもにも、そうあってほしいなあと思う。

日々の小さな積み重ねのなかで、よく働き、よく生きる!そんな一年を願います。

- 00:09 -
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